【読書感想】Nのために|湊かなえ|自己犠牲がすぎる純愛ミステリー

こんにちはginkoです。

今回は湊かなえさんの「Nのために」の読書感想を綴ります。

この小説は、以前からタイトルが気になっていたものの、読みそびれてしまっていた作品の一つです。印象的なタイトルに色んなことを想像しながら読んでみたら、ことごとく思っていたのと違う展開と内容で驚きましたが、とても面白かったです。

ネタバレは、極力回避して綴っています。個人的な見どころも含めて紹介するので、気になっている人は参考にしてください。

あらすじ

とある高層マンションの一室から、住人の野口貴弘・奈央子夫妻が死亡しているとの通報があった。

現場に居合わせていたのは、野口夫妻と何かしらの関わりをもつ4人の男女(杉下希美・成瀬慎司・西崎真人・安藤望)。当時の状況を詳しく聞くと「野口奈央子を夫の貴弘が殺し、その貴弘を西崎が殺した」ことが判明、後日、犯人には懲役10年が言い渡された。

4人がそれぞれに供述した内容には、不審な点が見当たらない。しかし、事件当時、各自が「どんな思い」で「あのような供述」をしたのか、事件に至るまでの回顧録で判明する隠し事と思い込み。すべては「Nのために」。

見どころ

1:タイトルが意味するものと多層的な物語構成

物語のタイトルにある「N」は、被害者を含む登場人物に共通するイニシャル。居合わせた男女それぞれが、自分以外のNのために「何を思い、何をして、何をしようとしたのか」。

各自の視点で事件が振り返られるたびに、全く異なる事件の側面が鮮やかに浮かび上がっていきます。個々が語る真実は、パズルのように完全に合致するわけではなく、絶妙な不調和を伴って重なり合うため、事件の背景に一層の深みが感じられるでしょう。

登場人物の回想録を全て読まなければ、事件の全貌はわからない」そんな作者の巧妙な仕掛けが光った多層的な物語が楽しめます。

2:純愛とミステリーの融合

この小説は、犯人捜しではなく「なぜ、この事件が起きたのか」を紐解くミステリーです。そして、物語の根幹をなす事件の背景にあるのは、登場人物それぞれが抱える純粋で切実な愛

彼らの回顧録では、Nに向けた想いと、その愛ゆえに踏み切ったすべての行動が赤裸々に明かされていきます。しかし、その純粋な愛は、不器用にも互いに深く絡まりすぎて、やがて事件の引き金に・・・。

まさに純愛とミステリーの融合が楽しめます。

3:交差することのないそれぞれの真実

物語は、登場人物たちの「事件当時や事件に至るまでの回顧録」と「事件から10年経った現在における心境」によって紡がれています。

彼らが胸に秘めた想いや真実は、すべて「Nのために」隠され、互いの間で交わることはありません。誰も自分のことを語らず、また誰も詮索しないために、彼らは「実は互いのことをよく知らない」という状態に陥っていたのです。

この不器用な関係が思い込みによる勘違いを生み、それぞれの真実や思惑は、かみ合うことなく複雑に絡みあっていきます。そして、その意図しない不協和音こそが、さらなる悲劇を生む引き金となるのです。

読み進めるにつれ、一つ一つの真実が重なり合い、読む側の心を深く、静かに揺さぶります。

読書感想

全員Nなんかい!

私はこの小説を、タイトルだけで「主人公がとあるNのために何かをしたミステリー」という勝手な先入観をもって読み始めていました。

そのため、出てくる登場人物のイニシャルがことごとくNだったことに「全員Nなんかい!」と普通に驚き、その時点で「そうきたか!」と単純に面白かったです。しかも、物語の冒頭で夫婦を死亡させた犯人が判明していたので、「なるほど、犯人がどのNのために死亡させたかに軸をおいたミステリーなんだな」なんて思ったりもして・・・。

まさか「Nのために」がいくつもあるなんて、ミステリーの仕掛けに今回もまんまとハマりました。そもそもこれは騙されるポイントなのか?自分がただただ単純なだけじゃないのか?と思いつつも(笑)、想定外の展開は純粋に面白かったです。

愛に飢えた者たちの究極の愛が切なすぎる

この物語には、それぞれのNに向けた愛が綴られていました。単純に「好き」というものではなく、その相手の幸せを心から願い、そのためには自己犠牲も厭わないような。

個人的には、そこまで相手のことを想えるのは素敵なことだなと思った一方で「そこまでするか?」と思うような形もありました。「愛するってどういうこと?」「愛とは?」という底なし沼の疑問にハマりそうになる描写も・・・。

過去の辛い出来事からくる価値観が影響しているのかと思いますが、自分にはその境地が切なかったです。しかも「相手を想ってやったことが、本当に相手のためになったのか」というとそうでもないところが多く、読んでいて胸がギュっとなりました。

「知らぬが仏」が通用するのは「全く知らないこと」

この物語で登場人物は、それぞれに隠し事を持っており、当然、他の人物の隠し事は知りません。しかし、何かしらの違和感は個々に感じており、他の人物に「隠している何かがある」ことを薄々わかっています

最終的には「真実を知りたい」という思いにたどり着いていたのも、それは「自分の知らない所に真実がある(別の人物が真実をもっている)」と確信したから。そして、その真実を知ることはもはやできない・・・。自分が心から愛した人に関して、しかも人が死んだ事件に関して、この先ずーーーーっと「あの時のアレ、なんやったんだろう」というモヤモヤを抱えながら生きていくって結構な拷問ではなかろうかと思いました(笑)。

相手を思って「あえて隠す(言わない)」選択をするにしても、その「隠していること自体知られないようにしないと、逆に相手を不安にさせたりする」ものだと思います。「隠している何かがある」のがわかっている状態で「知らぬが仏(知らないほうが心穏やかでいられる)」は通用しないと思うのです。もちろん、当の本人たちは隠しているアピールなんてしていませんが・・・。

そう考えると、この物語に出てくる登場人物は皆不器用で、自分のことよりNを大切に想っているのに、ことごとく裏目に出てしまったんじゃないかと・・・。決して悪い人達でなく、むしろ一生懸命生きてきたのだから、少しくらい報われて欲しかったですね。

誰かのために自分ができることは何だろう

この小説を読んで「誰かのために自分はどれだけのことができるのか」と深く考えさせられました。

良かれと思ってやったとしても、相手からすれば迷惑になることもあります。100%お互いを理解し合うのは難しいと思いますが、自分が大切に思う人の笑顔を少しでも増やせるように意識していこうと改めて思いました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。湊かなえさんの小説では「落日」の読書感想も綴っているので、興味があればこちらもご覧ください。

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